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社員 奮闘記ブログ

日々の努力が形になって残る仕事

2019.4.8

合同会社日比建設で、班長として現場を取りまとめるH氏。地元静岡県で長らく鳶工事の会社を自ら経営していたが、従兄弟の日比靖仁の要請を受けて東京の現場を手伝うことに。その後、晴れてメンバーの一員となったが、それにより何か感じることはあったのか。社長を務める従兄弟への、熱い思いにも迫った。

1. 「男子三日会わざれば刮目して見よ」

日比が鳶職の仕事に就いたのは16歳の時。従兄弟である日比靖仁とその弟の日比政仁は、同年代ながらいち早く社会人となり、鳶職人としてバリバリと働いていた。その姿に刺激を受け、「自分も早く働かないと」と背中を追いかけるようにして、親の経営する会社で鳶職人として働き始めた。

この頃は東京と静岡と住む場所は違ったが、互いの親の会社を通じて同じ現場を担当する機会もあった。お互いに競い合い、助け合い、仕事を進めていたのである。

その後、互いに東京と静岡で会社経営をするようになり、従兄弟たちとは一時的に疎遠となる。以来、共に働くことはほとんどなかった。時を経て再び同じ現場で働くようになったのは、2014年頃。従兄弟の日比から本格的に会社を手伝って欲しいとの要請があり、これを受け入れた。

現場では、超高層ビルの建設工事が進められていた。静岡ではこれほどの大規模工事はほとんどなく、久しく高層ビルを担当していなかったH氏は面食らう。

「僕はキャリアが30年以上あるんですけど、田舎者だからね、経験したことのない規模でしたよ。でもふと見ると、従兄弟たちは手慣れた様子で仕事を進めていて。すごいなぁって、感動しましたね」。

自身が若い頃にはこういった機会には恵まれず、鳶の仕事だけでなくコンクリート打設などの土方に近い業務からスタートする場面が多かったが、この会社の若い社員たちは場を与えられ、しかもきちんとこなしている。

「社長兄弟の末っ子は、最後に会った時にはまだ学生で働いていなかったですからね(笑)。それなのに、大型案件を次々とこなしていけるまでに立派に成長して……。彼ら兄弟のそうしたところは、本当に素晴らしいと思います」。

輝きながら働く従兄弟たちに、ただただ尊敬の念を覚えたのである。

2. 傲らない姿勢にならって

その後2017年11月、正式に中途入社する形となる。当初は大林組の現場をまわり、それまでとは異なり自身もプレイヤーとして働いた。そこで、改めて社員のレベルの高さを実感する

「鉄骨を建てる作業を任されたのですが、しばらく自分でやっておらず、身体がついていかなくて参りました。一方でT氏やK氏など、自分と同年代の社員が一番テキパキと動いていて、『すごいな。負けないようについていかないと!』と思いましたね」。

体力面も勿論だが、現場のベテランがその立場にあぐらをかかず、最前線で働く姿勢にも感銘を受けた。最初のうちは毎日筋肉痛に悩まされるも、頑張って周囲に食らいついていくことで、負けない動きができるようになったという。これまで培ってきた経験とともに、諦めない気持ちが自らのさらなる成長に繋がったのである。

3. 何事にも勝るのは、竣工の喜び

H氏にとって建設業の魅力とは、やはり建物が完成した際の感動に尽きる。建設とは、例えば工場の如く、流れ作業をする訳ではない。だが慣れたといっても、現場ごとに状況が異なるため、それぞれに合わせた業務をしなければならない。よって、メンバーと相談しながら、力を合わせて仕事をする必要があるのだ。

案件ごとに工程など色々と違ってきますから、その都度苦労して作業することになります。でも、それが実を結んで建物が完成すると、それはもう嬉しいですよ」。

その刹那が忘れられないからこそ、仕事に一生懸命になれるのだろう。やはり、自分の努力が形になるというのは、やりがいとなるものだ。

4. 負けん気を胸に歩み続ける

「一生懸命働いて、実力を認めてもらえるようになりたいです。身体が続く限りは、第一線で働き続けたいと思っていますから」。

自分のできることは何でもやって、社長の力になりたいと常々考えている。

「昔、親方に『職人は一生勉強』と言われまして。その時はピンとこなかったけど、最近は何となく分かってきました」。

常に冷静に自身を見つめ、欠点をなくしてきたH氏。今後もさらに成長して、社長を、ひいては会社と仲間たちを支えていくことだろう。さらなる高みを目指して、これからもその職務を全うしていく。

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