日本一の鳶会社になるために異端児だからできる事
日本一の鳶会社を作ろう。
そうビジョンを掲げる合同会社日比建設で、班長を務めるY氏。入社したのは2006年(平成18年)だが、それ以前から鳶の現場で着実に経験を重ねてきたプロフェッショナルだ。「悪名高い」「異端児」「目の上のたんこぶ」……自身をそのように形容するY氏の、職人としての顔に迫った。
現場に応じて変幻自在
「俺、性格に難がありますから。好き嫌いが分かれると思いますよ」。
冗談めかして笑いながら話すY氏。「班長」というポジションに就いているものの、自身が背負う役割は、その現場に応じて柔軟に変わるという。若手の前ではベテランらしく彼らをサポートする「おっさん」として裏方に回る一方、先輩たちと現場を共にする時には「あんちゃん」として下働きもこなす。
鳶の世界で、Y氏のような年齢の中堅どころは「脂の乗った一番良い時期」だと言われる。多くの場数を踏んで磨き上げられた技術に、まだまだ思い通りに動く体。しかしながら、日比建設ではこのような層に十分な厚みがなく、Y氏の同期・同世代は極端に少ない。だからこそ、現場を構成するメンバーの特性に応じ、臨機応変に状況を判断しながら、周囲との付き合い方や動き方を考えているのだ。
『売り上げの鍵を握る現場』にはY氏
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自身の技術には並々ならぬ自信を持っている。
それは、これまでの経歴が培ってきたものに他ならない。しかしながら慢心することなく、Y氏の眼はいつも冷静に現場を捉えている。
鉄骨やクレーン機械などの組み立てでは、何千万単位の金額が動くことも珍しくない。会社としても精鋭部隊を投入し、確実に仕上げたい仕事だ。Y氏はこのような現場に呼ばれることが多い。日比建設の売り上げの鍵を握り、絶対に失敗できない現場に自らがアサインされる理由をこう語る。
「評価されている、とは思わない。使える駒として見られているだけでしょう」。
自らの経験・技術・体力に信頼が寄せられていると知りながらも、鳶職経験の長い自分には「できて当たり前」の仕事ばかりだったとこれまでの現場を振り返る。口をついて出るのはつっけんどんな言葉ばかりだが、決して驕ることのない淡々とした自己分析には、鋭い観察眼が光る。
日比建設のヒール
鳶がいなければ、現場は始まらない。この道を選んで15年以上が過ぎ、その思いはずっと変わらない。鳶こそが、工事の根幹を担っているのだ。「図面通りにはいかない」難しさが付きまとう中で、大切にしているのは自らの感覚と勘だという。
「大工や内装業者、電気業者のように『モノ』ありきの仕事じゃない。足場を使いたい『人』、クレーンを使いたい『人』…そんな風に目的を持った人たちのために仕事をしなきゃいけない。仮説で仕事をするわけ。正解はないし、自分の正しさを確信して突き進むしかない」。
ピリピリした空気感の中、現場を回すためにY氏が買って出ていること。それは「ヒール」としての役割だ。
「ひとり悪役がいりゃ現場は回るんだよ。批判殺到になるだろうけど、俺以外にこれができる奴はなかなか居ないんじゃないかな」。
厳しい現場が育てたY氏という職人は、一種「俳優」のような役割も背負い込んでいるのだ。
異端児が見据える未来次世代への橋渡しに
Y氏がこれまで磨き上げてきたのは、職人としての腕前だけではない。人間関係の本質を素早く見抜き、現場で効果的に立ち回るスキルもそうだ。言葉だけで伝えるのが難しいこれらを次世代に引き継いでいくのが、将来的な自身の課題になるだろうと考えている。
「会社に『使ってやってる』」なんて思われたら腹が立つでしょ。自分の技術を貸してやっている、それぐらい思えるように成長しないと」。
鳶職人としてのプライドと冷静な判断力を併せ持つY氏は、これからも日比建設をさらに飛躍させるための一翼を担っていくに違いない。