INTERVIEW_02

大川 愛志

大川 愛志

現場を怖いと
感じるようになって、
この仕事の深さを知った。

大川 愛志

YASUSHI OOKAWA/1997年入社

17歳で日比建設に入社して、鳶職人になった。
職長になったのは28歳のときだ。
でも、当時の自分を思い返すと今でも恥ずかしい。
なんの根拠もなく「自分にはできる」と、自信満々だった。
気づいてなかったんだ、
自分がたくさんの人に支えられていたこと、
そして、鳶という仕事の深さについても。

情けない話だけど、実は会社を2回辞めている。
それでも、2回とも戻ってくることができて、今がある。

鳶職から離れていた当時、今でも強烈に覚えていることがある。
まだ20代前半で何しろ若かったから、いろんな仕事を試してみたかった。
それで、少しだけ営業の仕事をした。
ところが仕事といえば、毎日デスクに座って営業電話をかけまくること。
それで、少しでも話を聞いてくれそうな相手を見つけたら、
「これ、絶対おトクですよ」なんて柄にもないセリフを必死でまくしたてる。

うん、正直にいうと、心の中では嫌気がさしていた。

それで、ふと窓の外に視線を移すと、高層ビルの建設現場が見えた。
目に飛び込んできたのは、真っ昼間の気持ちいい太陽の下で、縦横無尽に動き回る職人の姿だ。

心の底からうらやましかった、あの場所に戻りたかった。
その光景を見た瞬間に、自分の場所はあそこなんだって、
初めて気づいたのかもしれない。

それから、本当にいろいろあって。
残念ながらここでは長すぎて語れないような話がたくさんあって。
とにかく今、自分は、日比建設で鳶の仕事を続けられている。
当時、「戻ってこいよ」って強く説得してくれた仲間には、感謝してるんだ。
こんなこと、普段はぜったいに言わないけどね。

それで、鳶で生きていこうと覚悟を決めたのが26歳。
尊敬するマサヒト師匠の背中を追いかけて、一挙一動、声の出し方まで真似て仕事を覚えて、自信満々で職長になったのが28歳。
ところが30歳を超えたあたりから、現場が怖くなった自分に気づいた。

例えばTVのニュースで、どこどこの工事現場で足場が崩れる事故が……
なんて映像が流れてきたときだ。
若い頃なら「自分ならあんなヘマはぜったいしない」としか思わなかった。
でも今は「もしも自分なら、どうしただろう」と考えてしまう。
あの現場の職長はどんな気持ちだろうと考えると、
自分のことのように背筋が寒くなる。いや、自分のことだけならまだいい。
会社はどうなる?現場はどうなる?他の職人さんたちはどうなる?
そのすべての責任を、鳶の職長は負っている。そうして現場に立っている。
このことに気づくのに、本当に長い時間がかかった。

それは、ビビってるとかって軽い話じゃない。
仕事をもっと、深く考えるようになったんだと思う。
怖いもの知らずだった若い頃と比べて、深い世界が見えるようになって、仕事が変わったと思う。
スピードも大事だけど、それ以上に作業の安全性を考えるようになった。

現場にいるときは、いつも、工事の先の先、さらにその先まで考えて動くようになった。
考えるのは「もしも」ということだ。
もしもを考えて、より安全な一歩を選ぶ。
もしもを考えて、工事がよりスムーズに進む一手を考える。

そうすると不思議なもので、
現場が怖くなったこと以上に、仕事が面白くなった。
自分が思っている以上に、鳶の世界はまだまだ深みがありそうだ。
肩の上にズシンと乗っかる責任は重いけど、今日も太陽の下で、昔よりもいっそう腹をくくって、現場に立っている。

先輩インタビューの写真

尊敬するマサヒト師匠。足の運び方、体の動かし方、現場監督や下の子との話の仕方、何から何までこの人の真似をして、経験を積んだ。

先輩インタビューの写真

工事全体のスケジュールを把握しておくことは当然の仕事。職長は、そこからさらに「現場で起こりうること」を想定して1日の作業を決める。