鳶職人になるとお金持ちになれるのか?
あなたはそんな疑問を抱いたことはありませんか?
結論から申しますと鳶職人はお金持ちになる事が出来ると言えます!
理由はいくつかあります(これだけではないです)
- 建設業界は慢性的に人手不足で、これからもますますその傾向に拍車がかかると言える
- 希少性の高い技術なので常に需要が多い
- 年齢学歴などが関係なく、特に若いうちから高収入を得やすい
この後紹介する私の叔父も、若くして実力が認められてお金持ちになった鳶職人の一人です。
叔父は16歳から鳶職人となり、紆余曲折を経て一流の鳶職人になった今では、年収1,000万円を軽く超えるお金持ちになっています。
年収が1,000万円を超える人は日本全体で5.4%という統計がありますので、これはお金持ちになったといっても良いのではないでしょうか?
この記事では、叔父である現役鳶職人がたたきあげで年収1,000万円を超えるお金持ちになった人生の物語をご紹介します。
参考:国税庁 標本調査結果「民間給与の実態調査結果(全データ)」https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan2022/pdf/000.pdf
1.下っ端鳶職人がお金持ちになるまでの人生のあゆみ
中卒で鳶職を始め、現在では会社の取締役として年収1,000万を超えるまでになった、私の叔父の人生のあゆみを10代〜現在(50代)までご紹介したいと思います。
1-1. 16歳で鳶の世界に入り、19歳で職長を経験
鳶職の世界に入ったのは16歳の時。
おじいちゃん、父親含め、周りの叔父達もみんな鳶職人として働いていた「鳶一族」的な環境で育った僕は学生の頃から鳶職人になるのが夢だった。
中学生の頃には兄貴と一緒に「中学を卒業したら鳶職人として働こう」と話をしていたのだが、自分が中学2年生の時、一つ年上の兄貴が「夏休みがなくなるのが辛い」という理由で高校に入学することになった。
1年後、兄貴を追いかける形で僕も高校に入学する事にした。
入学してすぐ、まだ1学期すら終わらないタイミングで1つ上の兄貴が高校を中退する事になった。
高校生活が楽しくなかった訳でも、何か問題を起こした訳でもないみたいだが、意味のない毎日をダラダラ過ごすよりもやはり鳶職人として働きたいという気持ちが高校生活を過ごす中で強くなったらしい。
負けず嫌いの僕は、兄貴に先を越されるのだけは嫌だったので、迷う事なく高校1年生の1学期に退学する事にした。
今となっては何の為に高校に行ったのか?まだ高校生活最初の夏休みすら迎えていないぞ笑
そして同時期に兄貴と僕は当時父親が経営していた会社に就職し、一人前の鳶職人になる為に10代はとにかく互いに切磋琢磨しながら小さい現場をコツコツこなしていった。
鳶職人になって3年が過ぎたころ、19歳の時に初めて職長として現場を任される事になった。
初めて職長として任された現場は荻窪にあるオフィスビルの建設現場だった。
丁度この頃、小学生の頃から付き合っていた彼女と結婚(今の奥さん)
この頃で年収は360万、家は奥さんと二人で家賃10万円のアパートに住んでいた。
車が大好きだった僕は、当時300万円ほどした日産の180SXというスポーツカーを現金一括で購入。
こつこつ貯金頑張った笑
1-2. 20代前半は代表の兄貴と力を合わせ仕事に没頭の日々
20代前半はとにかく仕事に没頭した。
勤めていた父親の会社の社員数はそこまで多くはなく少数精鋭だったので、この頃はみんなで同じ現場で働く事が多かった。
某区にある公共の体育館工事と某鉄道の駅舎改修工事が重なったこの頃は、月一休みかつ日勤と夜勤を繰り返すという何ともブラックな環境が4ヶ月も続いたことがあった笑
そんな事もあり20代にして給料は毎月70万程もらっていた。
20代前半で月の給料70万と聞くと高く感じるかもしれないが、月に58日間働いての70万なので日給に換算すると12,000円程度。
この頃の僕の能力からするとだいぶ安い日給で働いていたと思う笑
プライベートでは以前から憧れていた日産のGT-R(新車価格で550万程度)を購入しようと決心し、1週間後に契約と迫ったいたのだが、何とそのタイミングで妻の妊娠が発覚。
子ども(娘)が生まれる事もあり、車屋さんに手配してもらっていたGT-Rは契約直前で解約。
憧れのGT-Rは諦めて、当時乗っていた車(180SX)の新型を300万円で購入した。
その2年後には息子も誕生し、2人の子宝に恵まれプライベートはとても充実していた。
1-3. 20代も後半に差し掛かろうとしたある日、突然転機が訪れる
僕が24歳の頃に突然転機が訪れる。
当時僕たち兄弟は父親が経営する会社に勤めていたのだが、代表である父親がある日突然音信不通になったのだ。
簡単に説明するとバブルがはじけ放漫経営で散財を続けていたが為に借金で首が回らなくなり、姿をくらましてしまったのだ。
当時の状況についてはこちらの記事でも兄貴目線で詳しく書かれています↓
現役鳶工事会社社長(中卒)が語るあなたの知らない中卒鳶職人の世界
突然の出来事ではあったのだが、幸いな事にこの頃仕事に関わる業務は兄貴がほとんど行っていたので、僕ら兄弟、そして当時父親の会社に在籍していた社員数名と共に新たに会社を立ち上げ、鳶職人として第二の人生がスタートした(兄が代表取締役、僕が取締役)
しかし、自分達で独立していきなりそんなに順風満帆にいくはずもなく、立ち上げから数年間は仕事が激減。
20代前半で月に70万程給料を稼いでいたが、その数年後には収入も月50万程に減少。
ただ、仕事が減った分休みが週に1日は確実に取れるようになり家族と過ごす時間が増えたのはよかったこと。
収入は減ったがそれなりに貯蓄はあったので、子ども達が小学生に上がるタイミングで以前住んでいた家から少しだけ広い、家賃13万円の3LDKのアパートに引っ越をした。
車も今まではスポーツカーに乗っていたが、子どもが大きくなった事もあり、いすずのビックホーンという7人乗りのSUVに乗り換えたのもこの時期。
1-4. 30代前半に入ると会社も軌道に乗り始め、大型の現場に携われるようになる
独立後数年間は暇な時期もあったが、目の前の現場を確実にこなす事で「また次も頼むよ」とお客様に声をかけていただける事も増え、徐々に信頼を得ていくようになった。
30代前半には大型建設現場の仕事も入るようになり、僕が一番最初に経験した大型の建設現場は埼玉県の戸田市にあるイオンの建設現場で職長として入った。
その後も安定的に職長として数多くの現場を任されるようになり20代後半で一時的に下がった給料も、30歳を過ぎる頃にはまた月給70万程稼げるまでに回復した。
1-5. 30代後半、職長として更なる飛躍を遂げる
そんな中で僕自身職長として更に成長出来たなと感じる現場が、2009年(当時僕が38歳)の時に職長として入った大手町にある「パレスホテル」の建て替え工事。
古いホテルを一度解体して、新しいホテルを立て直すというとても大掛かりな工事だった。
毎日2,000人以上の職人達が出入りする現場で、僕自身もピーク時には120名ほどの職人達の指揮を取っていた。
工期がタイトな現場で、途中から24時間体制で稼働したため職長である僕は日勤と夜勤の繰り返しで現場に寝泊りの日々。
気づけばあの頃のように月に55日も働いていた笑
建物の構造も複雑でとにかく工事を安全かつ円滑に進めていくのに大変な現場ではあったが、何とか無事故で終える事が出来た。
約2年の歳月を経て完成した時には職長としてこの上ない達成感があった。
完成後、家族と車でパレスホテルのそばを通った時、「俺がこのホテルの工事に関わったんだ」と家族に伝えられる喜びと誇りを感じた。
仕事面で充実していた30代、プライベートでは当時携わっていた現場の職長さん達と「いつかみんなで大型バイクの免許を取ってツーリングとか行きたいねー」なんて話していた事もあり、バイクの教習所に通い始め大型二輪の免許を取得した。
免許取得を機に30代後半からバイク熱が加速!
初めて買ったバイクは180万円もするドゥカティの大型バイク。
ドゥカティは大会とかでも使用されているバリバリスポーツタイプのバイクで、走っていてとても楽しいバイクではあるんだけど街乗りには適していない部分があるので、数年後にもう一台街乗り用でスズキのバンディッド(120万円程)というバイクも購入しちゃいまして、、、
このバイクを買う少し前には、車も7人乗りの車(ビックホーン)から、スバルのレガシーに買い替え、レガシーが大好きになったので新車で2台レガシーを乗り継いだりもした(車とバイクでどんだけ金使うんだ笑)
2台とも金額は400万くらいだったかな。やっぱり車もバイクもマニュアルが一番!
で、30代も終わりに差し掛かろうとしたこの頃に今も住んでいるマイホーム(一軒家)を購入したんだよね。
30代に入った頃から何となくマイホームの購入は考えていたんだけど、中々良い物件に出会えなかったり、ちょっと良さげで買おうとしても(会社の取締役にだからか)年収も1,000万円ほどあったのに住宅ローンを借りるのに苦戦したんだよね。
そんなこんなが数年続きマイホーム購入を諦めかけていた時に、今住んでいる物件が新築で売りに出ていて、高倍率の中応募したらたまたま当たったんだよね。
この時は住宅ローンもなんとか借りられ、念願のマイホームを購入することができた(ちなみに価格は6,500万円くらい)
1-6. 40代で年収1,000万に到達しプライベートでは充実した日々を過ごす
40代に入ると、それまで長年お付き合いのある所長さんから指名をいただくことも増え、安定的に大規模な現場の仕事をさせていただく機会が増えた。
その結果40代で年収は1,000万円を超えるようになっていた。
鳶職で年収1000万稼ぎたい人はこちらの記事も参考にしてみてください↓
鳶職人が年収1,000万円を達成するためのリアルな4つの方法
40代はバイク熱に加え、ゴルフとキャンプも新たな趣味に加わった。
ゴルフは昔から仕事の付き合いでやってはいたんだけど、ほんと付き合いでやっているだけであって別に楽しいとは思っていなかった。
40代に入ってから新しいゴルフクラブを購入し、そこからだんだんスコアもよくなるようになっていて気付いたらどっぷりとハマっていました笑
キャンプにハマったきっかけは僕が42歳の頃、茨城県在中のトイプードルのブリーダーさんの元を尋ねた時に2匹の姉弟のトイプードルに一目惚れして飼うことに。
子ども2人も結婚して家を出ていたので、休日に妻と犬2匹と一緒に出かける事ができればな〜と思い、900万円もするキャンピングカーを衝動買い笑
実は40代に入ってすぐにBMWの大型バイクを300万円で購入していたのですが、バイク、ゴルフ、キャンプ、3つの趣味を両立するには休日が足りなくなってしまったので、泣く泣くBMWのバイクは手放すことにしました。
1.7.鳶職歴29年!今年52歳になったスーパー職長の現在の生活とは
僕は今年52歳になりますが、今では関東を中心に数多くの大規模な現場に携わっています。
しかし、最初から順風満帆だったかというと決してそんな事はなく、仕事がほとんどない時期もありましたし、現場では安全確認を誤って怪我(骨折)をしてしまった事もあります。
鳶職は常に危険と隣り合わせな仕事で、万が一事故を起こしてしまえば今後の受注にも影響してしまいます。
今では自分自身もそうですし、会社の部下達にも「作業手順の確認」と「安全を考える事」は徹底させています。
そして何よりも「良い建物を作ってやろう」というぶれない気持ちを常に持っています。
その結果といっては何ですが、現在では年収1,200万以上を安定的に稼いでいますし、趣味に使えるお金も増え、現在では900万円のキャンピングカーに加え、妻専用の車としてマツダのロードスター(400万円)、僕が普段使う通勤用の車としてフォルクスワーゲンのパサート(700万円)も所持しています。
マイホームも40代で購入し、今では妻と愛犬2匹と幸せに暮らしています。
2. 若くして金持ちになれた3つの理由
叔父はなぜ若くして年収1,000万円を超えることができたのか?
その理由を僕なりに3つ考察してみます。
2-1. 仕事に全振りした生活を一定期間経験した
叔父が鳶職人になったのは1986年、いわゆるバブル経済崩壊が1991年と言われていますので、バブルが弾ける5年ほど前の時期です。
バブル崩壊までは日本中が好景気に沸き、崩壊後も建設業界はしばらく残火のような景気が続き、東京都内の現場数も豊富でそれは忙しい時期でした。
月に3日も休めば『今月はいっぱい休めたね』と言えるような感じで、全く休みが取れない時期や、昼夜で現場を掛け持ちするようなこともありました。
鳶職人を始めてから1人前になるまでの数年間をそのような環境で過ごせたことは、当時は大変だったでしょうが、職人としての成長という意味では大きなプラスです。
鳶職人が技術を身につけるためには、能力や意欲とは別に一定の経験値が積めるだけの期間が必要ですが、それをぎゅっと濃縮した形で積むことができたのですから、、、
仕事で人よりも優れた結果を出そうと思えば、鳶職人はもちろんどんな職業であってもワークライフバランスを『ワークに全振りする期間』が必要なのではないでしょうか?
ワークとライフは1週間や、1ヶ月みたいな短い単位でバランスさせるものではなく、人生の中でワークに全振りする期間を持つことで、その後に豊かなライフを手に入れられるという典型的な例だと言えます。
2.2. 自分の力で会社を成長させた
叔父はバブル崩壊後、24歳の頃にお兄さんと共に会社を設立(独立)しています。
建設業界も流石に不景気になり、その不景気はその後『失われた30年』とも言われるほど長期間なものになるのですが、リスクをとって独立をし、叔父の場合は兄が経営を、自分が現場サイドの責任者として会社を成長させることにフルコミットして、自分の力で会社を成長させました。
若いうちに金持ち(年収1,000万円を超える)になろうと思えば、ある程度のリスクは覚悟の上で、独立をして会社を自分の力で成長させることが近道にして唯一の方法なのだと思います。
2.3.経営者の視点を持って仕事をした
叔父は会社のNo2というポジションで、会社の経営自体はお兄さんが行っていましたが、現場で職長をする時も常に『経営者目線』を持って仕事をしていたことが今に繋がっています。
ただ鉄骨を立てる、足場を組むのではなく、それらの作業を通して『お客様からの評価をいかに高めるか?』ということを常に念頭に仕事をしていたので、少しづつ大きな現場を任せてもらえるようになり、今のようなある程度大きな会社のNo2というポジションになれたことが高年収に繋がっています。
経営者や取締役になる人というのは、社員の頃から「自分が経営者ならどうするか?」という意識を持って仕事ができる人で、酒を飲んでは会社への愚痴や社長の悪口を言っているような人は残念ながら並の職人人生で終わることが多いように感じます。
鳶職人として、若くして金持ちになりたければ独立を目指すのがオススメです。
そのために大事なのは、いち社員の頃から経営者目線を持って仕事をするということです。
3.夢見る人に伝えたい|未経験からでも鳶職人でお金持ちになる事が可能と言える3つの理由
3章では鳶職人がお金持ちになれると言える3つの理由について解説していきたいと思います。
鳶職でお金持ちになることが可能と言える理由は下記の3つです。
- 努力した分だけ稼ぎに繋がる実力主義の世界だから
- 人手不足で働き手の需要が追いついていないから
- 独立しやすい
以上3点を詳しく解説していきたいと思います。
3-1. 努力した分だけ稼ぎに繋がる実力主義の世界だから
何と言っても鳶職は実力主義の職業です!
出来る仕事が多ければ多い程鳶職人は稼げると言えます!!
とにかく若いうちは先輩職人の技術を盗み、1つ1つの仕事を確実にこなせるようにする事が大切です。
また、資格の取得も稼ぐ手段の一つです。
年収アップに繋がりやすい資格は下記の3つです!
- とび技能士(1級限定)
- 足場の組立て等作業主任者
- 建物等の鉄骨組立て等作業主任者
鳶の資格についてはこちらの記事で詳しく解説しております↓
鳶職人の経験年数別に目指したい資格が分かる⁉︎鳶の資格の知識
資格を取得することで更に仕事の幅が広がり、いざ勤め先の会社に大きな現場の仕事が舞い込んで来た時、その現場の一員として選ばれる確率はグンと上がります。
大きな現場にどんどん携われるようになっていけば、鳶職人としての技術はさらに上がり、会社はあなたを重宝するはずです。
それに付随して現場を仕切る能力 (指示出し、安全管理)等が身に付けば役職も上がり、日給も10,000円程でスタートしたのが、12,000円、14,000円、16,000円、18,000円、20,000円と、どんどん上がっていくでしょう!
3-2.人手不足で働き手の需要が追いついていない
建設業界はここ数年かなりの人手不足に悩まされています。
人手不足に陥っている一番大きな要因は少子高齢化による現役世代の減少です。
国土交通省の調べによると、建設業界の就業者は1997年の685万人をピークに下降を続け、2021年には482万人まで減少し、そのうちの35.5%が55歳以上であるのに対して29歳以下は12%しかいません。
このままいくと再来年の2025年には建設業の労働人口が約90万人不足すると予想されています。
上記のデータは建設業界全体でのデータですが、鳶職も同様に人手不足の問題を抱えている会社が多いと思います。
一方で建設業の需要そのものは拡大しています。
去年(2022年)のデータにはなりますが国土交通省の調べによると、建設投資額は2012年〜右肩上がりとなっており、特に近年では民間の建設投資が増加傾向にあります。
今後も建設業界は首都圏を中心に大型のプロジェクトが相次いで予定されています。
また建物の老朽化も進んでいる為、今後建て替え需要も増加するでしょう。
需要はあるのに働き手は減少する、、、
ここにお金持ちになれるチャンスがあると僕は思います。
参考:国土交通省土地・建設産業局「建設業界の現状とこれまでの取組」
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001314888.pdf参考:国土交通省・国土交通政策研究所
「国土交通分野の将来見通しと人材戦略に関する調査研究 」
https://www.mlit.go.jp/pri/houkoku/gaiyou/pdf/kkk143.pdf
3-3.独立しやすい
現在会社に所属していて、経験を積み技術に自信がある人は独立することをオススメします。
今の時代、鳶職はかなり独立しやすいタイミングにあるのではないかと僕は思います。
独立しやすいと言える一つ目の理由は、先程もお伝えした通り建設業界はここ数年かなりの人手不足に悩まされており鳶職の需要もかなり高まっています。
僕も長年この業界に携わっていますが、今の独立をして仕事量に悩まされるというのはとても考えづらいです。
独立する際に1人親方でも仕事を数多くこなせばそれなりに稼げるとは思いますが、自分一人での独立となると自分が万が一病気や怪我で仕事が出来なくなってしまった場合に収入が途絶えてしまうので、そういったリスクを回避する為にも独立前に勤め先や関わった現場の仲間(自分の右腕となる存在)と一緒に独立すると安心かと思います。
それに従業員が増えれば、その分請け負える仕事の量も増えるので、結果として年収UPにも繋がります。
もう一つ独立しやすいと言える理由は、鳶職は最初従業員を多く雇わず少人数で開業する分にはかなり費用(開業資金)を抑えて独立できると言えます。
建設現場の場合、締め日から支払日まで2ヶ月かかるところが多いので2ヶ月分の運転資金+その間の自分の生活費が必要となります。
あと強いて言えば移動車(荷物が積めるワゴン車等)あれば便利ではありますが、都内の現場ですと最寄りの駅からそう遠くは無い所がほとんどなので、最初お金の無いうちは電車通いでもいいと思います。
鳶職の場合、何よりも自分のスキルと経験こそが財産となるので「稼ぎたい」という強い気持ちがあれば充分です!
まとめ
ある程度明確な目標を設定し、その目標を達成する為の行動パターンを考え実行すると「お金持ちになりたい!」という目標がただ何となく過ごすよりもより具体的に見えてくると思います。
大谷翔平選手が高校生1年生の頃に使った「マンダラチャート」がまさに良い例で、大谷選手は9✖9の合計81マスの真ん中(中心)に「8球団からドラフト1位指名」という大きな目標を書き、その周りに目標を達成する為のプロセスを事細かに書いていきました。
大きな目標を掲げ、目標を達成する為の準備を明確にする事で大谷選手は現在メジャーでNo.1の選手と言っても良いほどのスタープレイヤーになりました。
参考:スポーツニッポン新聞社
「大谷 花巻東流“夢実現シート” 高1冬は「ドラ1 8球団」」
ちなみに僕が勤めている会社の社長も、新規事業などの構想を練る時には「マインドマップ」というのをよく使っていますので是非ご参考までに。
この記事が「鳶職でお金持ちになりたい!」と志の高い目標を持った皆様の参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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